Quantcast
Channel: Superluminalのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 928

(その9) エンジンから車へ  ディーゼルエンジン誕生

$
0
0

(その9) エンジンから車へ  ディーゼルエンジン誕生


1893年春にアウグスブルグ機械工業において、新エンジンの研究開発プロジェクトが始まりました。

アウグスブルグ機械工業の大きな組立工場の一角に間仕切りをして特別試験場を作りました。

そこには約3 m の高さのエンジンが立っていました。

アウグスブルグ機械工業のプロジェクト担当責任者はハインリッヒ・ブスでした。

組立技師としてリンデルらがプロジェクトに参加しました。


エンジンの始動を行う前に、いくつかの予備実験を行いました。

部品の摺合せ、気密試験(圧縮圧力の目標値は30気圧でしたが、18気圧しか達成できませんでした)、エンジン始動方法の検討などを行いました。

特に使用燃料が問題でした。

当時の主要燃料は石炭でした。

ディーゼルは粉炭を燃料にすることも考えましたが、液体の原油を使用することから検討を始めました。

当時、オットーエンジンが普及していましたが、最大の課題は原油から精製されるガソリン以外の成分 - すなわち灯油、タール油などの重質分 - を燃料として使いエンジンを運転することでした。

ディーゼルは原油を燃料に使うことを検討しましたが、どろどろとした原油はスムーズにパイプを流れることができないので、最初はガソリン、灯油を燃料として使うことにしました。

エンジンは工場の動力源を使いベルトで駆動されました。


1893年8月 エンジンの運転試験が始まりました。

圧縮して熱くなった空気の中へ燃料ポンプによりガソリンをシリンダに導き噴射しました。

すると、突然大きな爆発が起こりエンジン上部に取り付けていた圧力インジケータ(シリンダ内の圧力を計測する計器)がエンジンから引きちぎられ、ディーゼルとリンデルの頭をかすめ弾丸のように飛び去りました。

エンジンは自力で1ストロークだけ回りました。

しかし、出力は発生せずシリンダ内は煤のためひどく汚れ、弁は気密を保つことができず、圧縮された空気はピストンリングから漏れシリンダ内の圧力は低下しました。


ディーゼルはエンジンの設計をやり直すことにしました。

5ヶ月間ベルリンに帰り改良設計を行いました。

1894年1月 再びアウグスブルグ機械工業に戻り多くの部品を再検討し交換しました。

特に燃料ポンプで多くの失敗をしたので燃料噴射に関して頭を悩ますことになります。

当時、1秒の数分の1という短期間でシリンダ内の圧力より高い超高圧で噴射を行う装置、すなわち今日の噴射ポンプは存在しなかったのです。

ロベルト・ボッシュの努力により噴射ポンプは1922年から市場に出回りますが、1890年代の技術では精密な噴射ポンプを製作することはできなかったのです。

ディーゼルは噴射ポンプの代わりに外部圧縮機により高圧に圧縮した空気を用いて燃料を吹き込むことを考案しました(いわゆる古典的ディーゼルエンジン)。

しかし、爆発は1回しか起こらず、クランク軸が1回転して排気管から火柱が出るだけでした。

各部を何回も調整し、噴射装置、操縦装置などを交換して試行錯誤を繰り返しました。

1894年2月 燃料弁を調整すると突然燃焼が安定して、エンジンを駆動していたベルトの緩み側がピーンと張りました。ベルトの張り側と緩み側が逆転したのです。

エンジンは単独で出力を発生し、自力運転ができるようになったのです。
(1分間に約88回の運転ができたそうです)


ディーゼルは大喜びして新エンジンの開発は成功したと思いました。

しかし、まだまだ困難は続きました。

エンジンは自力運転しましたが、すぐに多くの部品が故障し破損しました。

またシリンダ内は高熱のため焼きただれ、壊れた部品(弁、ばね、ピストンリング、パッキン、ピストンなど)でいっぱいになりました。

対策のため日中は実験、夜は思考を行い、ディーゼルは休む暇がありませんでした。

成功は目の前でしたが、ここでディーゼルは誤った方向に進みます。

燃料供給をオットーエンジンと同様にキャブレターにより行おうとしました。

しかし、うまくいきませんでした。

次にロベルト・ボッシュをまねきマグネト点火装置(現在のデストリビュータ、スパークプラグの元祖)をエンジンに取付け試験を行いましたがうまくいきません。

さらに誤った方向へ進んだのです。

1894年10月3日 ディーゼルは、アウグスブルグ機械工業およびクリップ・エッセンの重役へ実験が失敗したことを報告せざるを得ませんでした。

ディーゼルは懇願するようにプロジェクト継続の承認をもらい、エンジンの研究開発を続けました。

ある日、完成した新装置によりガソリンを吹き込むとエンジンは調子よく仕事を始めました。

さらに、大幅な設計変更を行い、水冷シリンダ構造を採用し、空気圧縮装置をエンジンの横にとりつけました。


Superluminalのブログ

1895年4月29日 改良エンジンを始動しました。

5月にはエンジンは完全に自力運転を行い、14馬力(出力+摩擦馬力)に達しました。

やがて23馬力まで出力は向上しました。

燃料をガソリンから灯油に変えるとさらに良好な運転を示しました。

この頃、クリップ社のある重役が突然抜き打ちで調査にきました。

しかし、ちょうどエンジンは良好に運転していたのでまったく問題はありませんでした。

6月26日 燃料消費量を計測するとガソリンエンジンの半分以下であることがわかりました。

1895年 11月 ディーゼルは新エンジンの耐久試験を開始しました。

エンジンは17日間無事に運転を続け耐久試験は成功しました。

5年間の研究開発期間をへてついに新エンジンが完成したのです。

アンモニアエンジンでの研究期間を入れると12年間のまさしく血のにじむような苦労だったのです。


カルノーサイクルを実現するという夢へ大きく一歩前進することができたのです。


1896年12月 アウグスブルグ機械工業およびクリップ・エッセン社へエンジンを1台ずつ納品しました。

ディーゼルはこの新エンジンを「ディーゼルエンジン」と名づけました(ディーゼル夫人の提案らしい・・・)。

1897年1月に小さな改造・調整が行われました。

その後、この古典的なディーゼルエンジンは約10年間使われることになります。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 928

Trending Articles