西郷南洲遺訓。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B4%B2%E7%BF%81%E9%81%BA%E8%A8%93
西郷隆盛、南洲は、特に著書を残しませんでした。
あるのは、
南洲翁遺訓
『南洲翁遺訓』は旧庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものである。
私が学生時代、1日にひとつずつ、毎朝読みました。
薄い冊子ですが、今の若い方に読んでいただきたいと思います。
冒頭
廟堂(びようどう)に立ちて大政(たいせい)を為すは天道を行ふものなれば、
些(ちつ)とも私を挟(はさ)みては済まぬもの也。
いかにも心を公平に操(と)り、正道を蹈(ふ)み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其の職に任(た)ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。
夫(そ)れ故(ゆえ)真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶(かな)はぬものぞ。
故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。
官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛(めで)し置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺(ちゆうき)之誥(こう)に
「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」
と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、
翁欣然(きんぜん)として、其の通りぞと申されき。
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私の好きな一節
命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
去れども、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるるに付き、
孟子に、
「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之れに由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ、富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能はず」
と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、
いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。
これは山岡鉄舟のことを評して言ったことばだそうです。
山岡鉄舟とは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E9%89%84%E8%88%9F
山岡 鉄舟(鐵舟、やまおか てっしゅう)は、幕末の幕臣、明治時代の政治家、思想家。
剣・禅・書の達人としても知られる。
鉄舟は号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。
諱は高歩(たかゆき)。
一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」(勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟)のひとり。
栄典は従三位勲二等子爵。
この方の一番の功績はやはり
江戸城無血開城の立役者だった。
当時、まだ江戸幕府は官軍と戦争する余力はあったが、今、大きな内乱が起こると日本は疲弊して、列強諸国からねらわれる。
戦争せずに大政奉還を・・・西郷隆盛、勝海舟などと激論
慶応4年(1868年)、精鋭隊歩兵頭格となる。
江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、3月9日官軍の駐留する駿府(現静岡市葵区)に辿り着き、伝馬町の松崎屋源兵衛宅で西郷と面会する。
2月11日の江戸城重臣会議において、徳川慶喜は恭順の意を表し、勝海舟に全権を委ねて自身は上野寛永寺に籠り謹慎していた。
海舟はこのような状況を伝えるため、征討大総督府参謀の西郷隆盛に書を送ろうとし、高橋精三(泥舟)を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることができなかった。
そこで、鉄舟に白羽の矢が立った。
このとき、刀がないほど困窮していた鉄舟は親友の関口艮輔に大小を借りて官軍の陣営に向かった
。
また、官軍が警備する中を
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」
と大音声で堂々と歩行していったという。
3月9日、益満休之助に案内され、駿府で西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷に取り計らうよう頼む。
この際、西郷から5つの条件を提示される。
それは、
一、江戸城を明け渡す。
一、城中の兵を向島に移す。
一、兵器をすべて差し出す。
一、軍艦をすべて引き渡す。
一、将軍慶喜は備前藩にあずける。
というものであった。
このうち最後の条件を鉄舟は拒んだ。
西郷はこれは朝命であると凄んだ。
これに対し、鉄舟は、もし島津侯が同じ立場であったなら、あなたはこの条件を受け入れないはずであると反論した。
西郷はこの論理をもっともだとして認めた。
これによって江戸無血開城がすみやかにおこなわれる。
3月13日・14日の勝と西郷の江戸城開城の最終会談にも立ち会った。
5月、若年寄格幹事となる。
(ちなみに徳川幕府の子孫はまだご健在。今は徳川美術館の館長http://www.tokugawa-art-museum.jp/
)
こういう人は今の時代にいるか?
いつの時代にもいます。
有名な方は、
田母神先生