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2012年12月の木工工作の記事。。。新しい木工工作作品。。。ついにベールを脱いだ!次は何だ!

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やれやれ、やっと完成しました。


まあ、完成ですね。


余った木材で作りました。


その名も、じゃーーーーーん


森の高級車


Papadedes 2012


全体はこんな感じ。

どうカッコイイ?


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主要諸元


全長: 168mm

全幅: 85mm

ホイールベース: 110mm


シルバニアの赤ちゃんなら4人乗り、キティちゃんなら1人


私の好きな、Mercedes Benz 1906を改良しました。

エンジンは、V8 4000cc、DOHC、ツインターボ、90度バンク

最高出力600PS

2015年排ガス規制適合!


でも・・・エアコンなし、カーナビなし




前から見ると

下地は日本の木材かライムウッド(ライムの木)ですが、表面は外国の木材。

特にウォルナット(walnut:クルミの木)はいい味を出します。

ナンバーなどは昔作った木製帆船の余った材料を使っています。


でも・・・

ライトは100円ショップで買ったビーズ

ライトの台に使用している木は今年枯れた庭の木です。

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ナンバーを拡大すると

Papadedes 2012の文字がくっきり!

文字は真鍮、イタリヤのコーレル社の部品です。


ネットで「papadedes」と冗談半分で検索すると・・・なんとそういう名前の人がいました。

大笑い。

暇なら、ここ見てね。

ここね

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横から見ると・・・

チェーンとライオンの金具結構いいでしょう?

イタリヤの木製帆船模型会社コーレル社の部品です。

フロントのラジエータグリルの装飾は日本のイマイ模型の帆船キット「カティーサーク」の銅製の外側板です。

昔、買った部品の残りです。

コーレルの部品もイマイの部品も通販で取り寄せできますよ。

でも、帆船、クラシックカーはイタリヤの模型会社の部品の方が味があります。


タイヤは細かく作ろうか?迷いましたが・・・小さいので大味にしました。

後ろの鈴は100円ショップで買いました。

接着はしていません。つるしているだけ


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上から見ると


赤いシートです。フェルトですね。森の皇族のシートですね。

すわり心地は、Jugarのシート並です。


座席と内部はすべて、walnut、クルミの木です。

ハンドルは少し頑張りました。


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後ろから見ると、こんな感じ。

今のところ装飾の予定はありません。


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暑い日には、オプションで屋根がつきます。


でも中が暗いので、オープンカーの方がいいな。

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さて、参考にした Mercedes 1906とは・・・

他の車両は、こちら


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Mercedesの由来・・・


大金持ちの娘さんの名前です。

ダイムラー・ベンツは堅苦しいな・・・と思い悩んでいたそうです。



メルセデス・ベンツ オフィシャルより

http://www.mercedes-benz.co.jp/brand/magazine/story/02.html



名声がブランドを生み、ブランドがその名声をさらに大きく育くむ。

自動車の世界に限らず、時代や流行を超えて人々を惹きつけるブランドの名前には、必ずそれにまつわる作り手の思いやエピソードがあるものです。


メルセデス・ベンツも例外ではありません。


今ではメルセデス・ベンツといえば、多くの方は伝統的な自動車ブランドの名前としてご存知だと思います。

しかし、考えてみれば、「メルセデス」というのは一般的にいって女性の名前でスペイン語で“神のご加護”を意味する言葉。

モデル名に女性の名を使ったクルマはこれまでいくつも例がみられますが、ブランドネームに女性の名を使った、メルセデス・ベンツのようなケースは決して多くないのです。


では、メルセデスの名前はいったいどのようにして使われるようになったのでしょう?


命名の経緯を説明するには、ダイムラーの自動車会社の黎明期、その開発に深く関わった2人の人物、オーストリアの大富豪エミール・イエリネック(Emil Jellinek)と天才技術者ウィルヘルム・マイバッハについて触れなければなりません。

自動車の生まれた19世紀末から第1次世界大戦までの20世紀初頭は、ベルエポックといわれる平和な時代。

生まれたばかりの自動車産業にとって、おもな顧客は新しもの好きの貴族や資産家たちでした。

ダイムラーやベンツの会社も同様で、自動車は社交界やレースといった特別な環境で磨かれ、品質を高めていきました。

ちなみに、最初の自動車レースとして記録されているのは、1894年にパリ-ルーアン間で行われたスピードトライアル。

優勝車のプジョーにはダイムラー社製のエンジンが搭載されていました。

ダイムラー社のエンジンの優秀さは、既にヨーロッパの自動車マニアの間に知れ渡っていたのです。

そんな自動車マニアたちの中に、イエリネックがいました。

彼はすでに40代ではありましたが、始まったばかりの自動車レースに積極的に参戦し、クルマを乗り換えながらレースと自動車に魅了されていきました。

そして、ダイムラー車を駆るドライバーとして、ロスチャイルド男爵らと並ぶ存在となっていました。

やがて、既存のクルマに飽きたらなくなったイエリネックは、まったく新しい高性能レーシングカーの製作をダイムラー社に依頼します。


そうして1900年から1901年の間に製作されたのがメルセデス・ブランドの記念すべき最初のモデル


“メルセデス 35PS”


でした。


そして、このクルマを設計した人物が、ゴットリープ・ダイムラーの片腕として自動車の発明に関わり、ダイムラー社の中心的な技術者となっていたウィルヘルム・マイバッハでした。

当時50代のマイバッハは、まさに技術者としての円熟期。

メルセデス 35PSには、重心の低められたスチールフレーム、前方に搭載されたハニカム・ラジエターと4気筒5.9リッターエンジン、多段ギアのトランスミッションなど、今日のクルマの原型といえる斬新なコンセプトが数多くとりいれられていました。

当時としては画期的な最高出力35馬力のエンジンで、それまでの標準スピードを大きく超える最高速度90km/hを可能にしたメルセデス 35PSは、エントリーした多くのレースで優勝をおさめます。

かくしてレースシーンはメルセデスの名前で席巻され、イエリネックの目論見はまさに的中したのです。

ただ、イエリネックが他の富豪たちと違っていたのは、自動車のビジネスとしての将来性を、自動車メーカーよりも早く見抜いていたことです。

彼はダイムラー社に開発を依頼するとき、35台の購入を約束するのと引き換えに、ヨーロッパとアメリカでの販売権と、新しいブランドネームの使用を条件として提案していました。


そのブランドネームこそが“メルセデス”でした。

彼がレース出場時に本名を隠して用いた名であり、彼の愛娘の名前だったのです。


「好きになってもらい愛してもらうには、クルマは女性の名前でなければならない」というのがイエリネックの主張でした。


自分の将来を託すべきクルマに愛娘の名前をつけるとは、なんともロマンチックなことではありませんか。

また同時にそこには、ユーザーが自動車に対して抱くマニアックな心理を捉えた、彼の天賦の商才が垣間見えもします。

イエリネックは後にダイムラー社の取締役に迎えられますが、そのことからも、彼の存在が当時のダイムラー社にとって必要不可欠なものだったことが分かります。

メルセデス 35PSとレースでの名声のおかげでメルセデスの名は文字通り世界に広まりました。

当初メルセデス 35PSのためだけに用意されていたその名前は、ダイムラー社の製造するすべての乗用車に使用されることとなり、ついには1902年、“メルセデス”の名はダイムラー社の自動車ブランドとしてドイツ特許庁に正式登録されました。

そしてメルセデスの名声は以来一度も失われることなく、今も世界中の自動車ファンを魅了し続けているのです。


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1901年のレースでは、2人乗りでしたが、Mercedes 1906は貴族の方用に4人乗りになりました。


馬車から馬をとった乗物から、本格的に自動車の形をした乗物になっていく、最初の自動車です。

でも、このデザインが好きですね。



なお、ベンツの商標マーク「スリーポイントスター」は


ゴットリープ・ダイムラーの思想の象徴といえる存在で、

三本の光芒は陸・海・空を指し、それぞれの世界でのモビリティーの発展を意味しているのです。



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あと・・・世界のPapadedesさん



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