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徳川美術館に行きました。企画展「将軍家のひな祭り」

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昨日、徳川美術館に久しぶりに行きました。
自宅から車で1時間ぐらい。

徳川美術館は名古屋市のほぼど真ん中です。
でも、栄のような繁華街ではなく、少しはずれたところ。


正門の写真撮りましたが、失敗したみたい。エラーになっている。

正門にはこう書かれています。



徳川園と徳川美術館

江戸時代のはじめ、この地域一帯は尾張徳川家二代光友卿の「大曽根下屋敷」といわれる広大な別邸であった。
光友卿の死去後、別邸は家老の成瀬・石河・渡辺の三家に下附され幕末まで使用されたが、明治維新後、再び尾張徳川家の所有となった。

昭和六年、同家十九代義親候は「・・・私有するは時勢に順応せざるを以て・・・」と意を決して別邸建物と庭園のうち約7千坪を名古屋市に寄附すると共に、相伝の1万数千に及ぶすべての什宝美術品類・土地・必要資金を拠出して、財団法人「尾張徳川黎明会」を設立。
昭和十年、同財団による「徳川美術館」が開館した。
一方、寄附を受けた名古屋市は、昭和7年、「徳川園」として公開したが、第二次大戦時に空襲を受け、「表門」を残して焼失した。

開館五十周年にあたる昭和60年、「徳川美術館」の大幅改築事業が地元経済界を中心とした全国規模の募金活動によって推進された。
この地に集積されている歴史遺産との融合をはかるべく、平成16年には我が国を代表する近世武家文化の殿堂と、その環境にふさわしい池泉回遊式庭園が完成した。

なお、公園内の南側には、尾張徳川家伝来の書籍類を収蔵し公開する名古屋市蓬左文庫が設けされている。

                                        名古屋市



徳川美術館のHP
http://www.tokugawa-art-museum.jp/


徳川美術館入口





美術館横の大きな木





徳川美術館-[Network2010]

(尾張藩)二代藩主光友が隠居した大曽根屋敷があった場所に徳川美術館は建てられてい­ます。
関東大震災以降の恐慌で、各大名家が先祖伝来の重宝類を手放すなか、尾張徳川家­十九代の義親は、財団法人徳川黎明会を設立、昭和10年徳川美術館を開設し一般に公開しました。




入ってすぐ、徳川家の兜、ヤクの尾毛の采配(ヤクの尾毛は戦国時代の流行だったようです。榊原家の兜もヤクの毛です)、青貝をまぶしたヤリなどみごとでした。
館内は写真撮影は禁止でした。
残念ながら、

今回の企画展は、ひな祭りです。
おじさんのブログに少し説明が

尾張徳川家の雛まつり
http://ameblo.jp/papakiti1/entry-11789370930.html




こちらの動画はなかなかいいですね。

徳川美術館 - Making of 「尾張徳川家の雛まつり」

毎年2月初旬から4月初旬まで名古屋にある徳川美術館で開催される雛道具の展覧会「尾­張徳川家の雛まつり」の展示作業を撮影したメイキングビデオ。
平成26年の開催期間は­2月8日から4月6日まで。




私は以下の展示物が好きでした。
全部、子供のおもちゃです。

はいはい人形




市松人形

こちら参照
日米親善人形    答礼人形誕生のエピソード
http://www.yoshitoku.co.jp/user_data/a_partner.php

昭和2年(1927)春、日米両国の友好・親善を願う人々の尽力で、米国から1万2千体をこえる“青い目の人形”が日本に届けられました。
その後、全国各地の幼稚園や小学校に配布されて、華やかに歓迎式がおこなわれ、社会的に大きな盛り上がりを見せました。
そして、その秋、わが国から返礼として、愛くるしい大型の市松人形を「答礼人形」として米国に贈りました。




銀製飾物 桜楓に蹴鞠 和宮所用




菊折枝蒔絵雛道具(櫛台)

子供のおもちゃにしては高級すぎる。。。素晴らしい。
江戸時代のものとはとても思えませんでした。





他の動画はこちら


徳川美術館開館75周年記念 特別展「国宝 初音の調度」紹介映像

平成22年11月13日(土)~12月12日(日)の期間徳川美術館で開催される企画­展。
名古屋開府400年、徳川美術館開館75周年記念の特別展です。

尾張徳川家二代光友夫人の千代姫の婚礼調度は、日本一豪華な嫁入り道具といわれる徳川­美術館の代表的所蔵品の一つです。
千代姫は三代将軍家光の長女で、寛永16年(163­9)、わずか満二歳で尾張徳川家にお嫁入りしました。
鏡台や貝桶、棚などの蒔絵調度を­中心に、染織・金工品など総計75件が国宝に指定されています。
多くが『源氏物語』初­音の帖にちなむ意匠であり、見飽きることのない「日暮らしの調度」の別名があります。
­今回は全点を一挙に公開いたします。





徳川家康がこてんぱんにやっつけられたのが、武田信玄との三方が原の戦い。。。
家康は負けた時のぶざまなさまを、今後の諫めのために絵に書かせて、残しています。
美術館内の売店で、その絵の絵葉書、などが販売されています。




織田信長は武田信玄が一番怖かったそうです。

信玄が怖くて、怖くて・・・・
信玄が生きている間はとにかく信玄を怒らせないようにおべっかつかったり、機嫌とったりばかり、しかし、信玄が死に、勝頼が跡を継ぐと、バカにして挑発してばかり、そして、勝頼は周囲の諫めを聞かず、無謀な戦をして惨敗、武田家滅亡へ。。。

信玄が諏訪に攻め入り、名家の諏訪家を滅ぼそうとしたとき、
ある占い師は、

武田は諏訪を滅ぼすことはできない。
諏訪に滅ぼされるだろう


と予言。

しかし、信玄は諏訪を滅ぼし、諏訪の美しい姫、由布姫を妾にします。
由布姫は勝頼を生みます。
信玄には勝頼以外、男子にめぐまれず、勝頼が武田を継ぎます。
そして、

諏訪の血を引く勝頼が結局、武田を滅ぼし、

皮肉なことに占い師の予言は当たってしまいました。




徳川美術館を出て、徳川園に入ると、

ここでもお雛様が





池のそばから

やはり街中、すぐそばにビルが見えます。





春です。
白梅が咲いていました。紅梅はまだですね。





きれいな、牡丹の花





池の中には大きな鯉がたくさん
人に慣れていて、手で頭を触ることができました。





途中、庵で休憩
カケイがよかったです。





小さな滝もありました。


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