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(その2) エンジンから車へ  動力をもとめて2

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蒸気機関と産業革命 ~ 産業革命の引き金は環境問題だった


さて、蒸気機関の誕生の話の前に、人類が使ってきた燃料について考えてみましょう。

人間は火を使うようになってから文明を開化させました。

テレビで頭のよいチンパンジーなど紹介されますが、動物は本能的に火に対しては恐怖心をいだきます。

道具を使う猿・イルカの芸はよく見ますが火を使う芸は少ないですね

(サーカスでオウムが大砲に点火する芸は見たことはありますがそのような例は少ないですね)。


一方、人間は火を怖いものと思わず利用できるありがたいものと位置づけ積極的に利用して文明を発展させてきました。

火の主要な用途はやはり暖房ですね。

次に調理でしょう。

そして鍛冶・鋳造・化学などの工業ですね。

焚き火をして暖を取り焼き芋を食べるお猿さんは見ますが(つまり、暖房・料理はできる)製鉄をするお猿さんはいませんね。

その点、人間の方が利口なのでしょう。

長い間、火を利用して人間の文明は栄えました。


その中で主要な燃料は何でしょうか?


やはり木材ですね。

近くの森林・林の木を燃やし燃料としてきました。

木材は人間にとって非常に重要な材料でした。

燃料のみならず造船用の材料としても重要でした。

しかし、17世紀のヨーロッパで深刻な環境問題が起こりました。

暖房・造船用材料・製鉄用燃料として使われてきた木材が底をつく事態がおこったのです。

ギリシャ、イタリア、スペインの森林は伐採され21世紀の現代に至るまで当時の森林には戻らないといわれています。


中でも深刻だったのがイギリス。


湿度が高く寒冷な気候のイギリスでは大量の木材を消費して暖をとりました。

また、工業の発展と共に増加した商船・軍艦の建造にも大量の材木を必要としました

私の10年前の趣味 を参照ください)。

森林の伐採による環境問題が深刻になるにつれ暖房用の燃料を石炭に求めるようになりました。

ただし、石炭も一部の地域でしか採掘されず遠くまで輸送することは当時の技術では不可能でした。

そのため18世紀に大運河を作り石炭の大量輸送をはかりました。

一方、一部の人々は木材資源の豊富なアメリカ、スカンジナビアへ移住するようになりました。

しかし、人間の欲望に対して石炭の採掘も困難になります。

当時、石炭を採掘するにつれ出水にみまわれました。

徹夜で馬が足踏み式ポンプを踏み、水をくみ上げてもだめでした。

   木材は底をつく
   石炭を掘るため、これ以上、地下に進めない!
   火をつくることができない! みんな凍死だ!

人々はこの重要問題を解決する方法を切望していました。


トーマス・セーヴァリー (1650-1715)という人が蒸気機関を初めて発明しました。

ただし蒸気機関を動かすのに要する石炭の量があまりにも多すぎたため実用化しませんでした。


その後、トーマス・ニューコメン (1664‐1729)という鍛冶屋さんがセーヴァリーの蒸気機関を改良して実用的な蒸気機関を発明することに成功しました。

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シリンダ内部で蒸気を発生することなく別置きのボイラーを設け蒸気を発生させました。

シリンダ内に送った蒸気に水を吹き付けて冷却を行いその時発生する真空を利用してピストンを駆動しました。

ニューコメンの蒸気機関はピストンの上下動が1分間に12~16回程度のゆっくりとしたものでした。

ただし、掘り出した石炭の4割を燃料として燃やさないといけない効率の悪い蒸気機関でした(なんでも熱効率1%だったとか)。

にもかかわらず、ニューコメンの蒸気機関は最新のエンジンの主要部品を備えていました。

すなわち、シリンダ・ピストン・コネクティングロッド・バルブ・タイミング装置です。

ニューコメンの蒸気機関により石炭をより深く掘ることが可能になりイギリスの鉱業は救われました。

しかし、石炭を深く掘ると再び出水に見舞われ炭鉱は再びもうからなくなりました。

人々はより出力が高く石炭の消費が少ない蒸気機関を切望していました。


グラスゴー大学の機械工、ジェームズ・ワット (1736-1819)がより効率のよい蒸気機関を発明しました。

ニューコメンの蒸気機関の水噴射を廃止してコンデンサにより蒸気をシリンダの外部で凝縮しました。

ニューコメンの蒸気機関よりずっと小型で石炭の消費量は1/4になりました。

ワット蒸気機関が先進的であったのは、


   ・ 真空を利用するだけでなく蒸気圧そのものを利用し始めた。
   ・ クランクシャフトとフライホイールを用いて往復運動を円運動に変え動力を得た。


特に、円運動で動力をとりだせたことは機械工学上大きな進歩でした。

ニューコメンの蒸気機関は往復運動でしたがワットの蒸気機関は円運動で動力をとりだしたのです。


ワットの偉業 は蒸気機関にとどまらず遊星歯車装置 ・複動機関・遠心調速機・ボール調速機を発明しました。

こうして蒸気機関は炭鉱のポンプに限らずさまざまな産業機械・機関車・自動車・船の動力として一気に発展していきました。



産業革命の光と影

蒸気機関は改良を重ねて出力をあげていきました。

セーヴァリの機関が1馬力、ニューコメン機関で10馬力、ワット機関で50馬力、高圧機関で100馬力。

18世紀になると2000馬力のものも出現しました。

アメリカ人のフルトン (1765-1815)はハドソン川で蒸気船の実験に成功して実用船への道を開いたのです。

蒸気機関は広い据え付け場所を必要としました。

海上ですと悪路に悩むこともなく広いスペースをとることができたので車より船にとりつける方が簡単だったのです。


蒸気自動車の試作に

フランス人、ニコラス・ジョセフ・キュノー (1725-1804)

ウィリアムス・マードック (1754-1839、ワットの技師)

リチャード・トレビシック (1771-1833、ペナダレン号を試作 重量が5トン!)がいどみましたが

車が壁に衝突したり悪路のため走っている間に車が壊れたりしてうまくいかなかったようです。


結局、自動車はレールの上を走らないといけなくなり、ジョージ・スティーブンソン が実用的な蒸気機関車を発明したのです。

蒸気機関車はヨーロッパの人々を熱狂させただけでなく独立間もないアメリカでは処女地にレールを敷き機関車を走らせ人々やさまざまな物資を送り込むことにより開拓が行われました。ア

メリカでは蒸気機関車はいわゆる開拓の象徴だったのです。


ロケット号!


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人類は実用的な動力を得ることができ非常に短期間で産業・輸送に大きな革命を引き起こすことになりました。
蒸気機関が普及するにつれ、その大きな欠点が明らかになりました。

すなわち小型の蒸気機関は大型の蒸気機関に比べ非常に多くの石炭を消費するということです。

これは蒸気機関の原理(高温・高圧のボイラーが必要)によるものです。

つまり、


大型の蒸気機関しか役に立たないことがわかってきたのです。


大型の機械を製作できるのは大資本を持つ一部のお金持ちに限られました。

大企業または資本家は小企業家または手工業者にくらべ3分の1ないし5分の1の費用で単位馬力を使うことができました。

そこで小企業者は競争できなくなりその事業は壊滅しました。

さらに、お金持ちの資本家は無数の農家の子弟を工場でやとい非常に安い給料で長時間労働を強いました。


   16時間労働は当たり前とか。

   女性・子供も14時間働かされたそうです。


そして、いつでも資本家の気分で彼らの首を切ることができたそうです。

気に食わなければ「おまえはもういらない! 明日からこなくていい。」という風に。


産業革命前、ヨーロッパの階級は貴族→僧侶→市民・農民でしたが、

産業革命後、貴族→僧侶→ブルジョア(成功した市民)→プロレタリアートへと急速に変化していくのでした。


当時のプロレタリアートは安定した生活のない膨大な大衆でした。

プロレタリアートは、急速に変革した工場とブルジョアがつくった組織に頼り生活する貧乏な集団であり常にブルジョアと対立するものでした。

首を切られるたびに蒸気機関車に乗り渡り鳥のように景気のよい工場を探し転々と移動する大衆でした。

当時は現在のような労働福祉という考えはまったくなかったのです(今でもなかったりして・・・・・)。


蒸気機関は外部にボイラーをもつためボイラーの爆発・蒸気漏れによる危険がつきまといました。

大型機械だったので、はさまれ・巻き込まれなどの災害も多かったのではないかと推察します。


私が学生時代(20世紀)、伝熱関係の教授は顔にやけどを負っていました。

彼曰く、


「昔から伝熱関係(ボイラーが主な研究対象)のエンジニアにやけどはつきものだった。

伝熱工学研究者の勲章みたいなものだ。」


20世紀でもこのような状況ですから発明間もない蒸気機関が安全とはとても思えません。

推察するに当時の工場では業務災害は多いが傷害手当て・休業などの社会福祉がなかったと推察します。

つまり、プロレタリアートは重労働・危険な作業・安い賃金に苦しむあわれな大衆だったと思われます。

ついにプロレタリアートの不満が爆発しました。

イギリスではた織職人が工場に乱入して機械を壊し数名が射殺されました。

マンチェスターの工場では放火が起こり大衆は勝利に感激したそうです。

一方、アメリカではそもそも階級などない平等社会でしたのでヨーロッパのように大量のプロレタリアートを発生させるような問題はなかったようです。

このような背景から大型の蒸気機関でなくボイラーのない小型・安全、さらに熱効率のよい内燃機関のニーズがだんだんと高まってきました。





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