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(その7) エンジンから車へ  ルドルフ・ディーゼルの学生時代 – リンデ教授との出会い

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(その7) エンジンから車へ  ルドルフ・ディーゼルの学生時代 – リンデ教授との出会い


ロンドンにおいて亡命中のディーゼル一家は生活が逼迫していたので12歳のルドルフをドイツのアウグスブルグの叔父のもとに出すことにしました。

この叔父さんは長い間、ルドフルの養父となりました。

12歳のルドルフは一人でロンドンからオランダのロッテルダムを通りドイツに行きました。

ドイツとフランスは戦争中でしたので真冬のヨーロッパを大回りするしかなかったのです。

途中何度も列車を乗り換え、時には貨車にのり叔父さんのもとへなんとかたどりつくことができました。

アウグスブルグの叔父さんは厳格な数学教師でした。

ルドルフに数学を厳しく仕込みました。

これは将来エンジニアになるルドルフにとっては幸運なことでした。

アウグスブルグ工業学校(現代の工業高校かな?)において基礎的な物理学、化学、機械工学、産業一般を学びました。

これらの教育は将来ミュンヘン工業高校における研究に非常に役に立ちました。

アウグスブルグ工業学校の教育は厳格でしたがルドルフの情熱を弱めることなく逆に機械工学に対する情熱を高めました。

またアウグスブルグには有名なアウグスブルグ機械工業 (Maschinenfabrik Augsburg AG、日本で言えば日野かいすずみたいなトラック、バスメーカー)という町で一番大きく立派な工場がありました。

ここは優秀な蒸気機関を組み立てることで有名でした。

ルドルフはアウグスブルグ工業学校の先生といっしょにアウグスブルグ機械工業を訪問して動く機械を見学しアウグスブルグ機械工業の重役や主任技師の名前を聞きこの立派な工場に対する愛着が膨らんできました。

20年後このアウグスブルグ機械工業(現在のMAN社)において世界で初めてのディーゼルエンジンが組み立てられるようになるのです。


ルドルフは14歳ごろはっきりとエンジニアになることを決心しました。


1875年17歳のルドルフはミュンヘン工業高校(現代の大学ですね)に入学しました。

ただし大変貧乏だったので奨学金に頼り家庭教師をしてなんとかミュンヘン工業高校に通うことができました。

ミュンヘン工業高校では驚異的な学業成績を示しました。

あるとき学年末考査の行われる2、3週間前にチフスにかかり学年末考査を受けることができず補充試験を受けないといけませんでした。

ルドルフは全校の教授会の前で口頭試問を受けなければなりませんでした。

しかし、彼の回答は学校創業以来の名回答だったので全教授が彼の周りにあつまりお祝いを述べたというエピソードもあります。

この頃からディーゼルは有能なエンジニアになって専門分野で大きな仕事がしたいと思うようになりました。

具体的には蒸気機関より良好な熱機関を発明したいという決意へと変わりました。

ディーゼルはパリでの貧しかった幼年時代の経験から、また社会問題にもなった大資本家とプロレタリアートの関係を憂い、大資本家のみが所有することができる蒸気機関でなく小農民や職人たちが使うことができる熱機関を発明したいと思うようになったのです。


ディーゼルはミュンヘン工業高校時代に理論機械工学の先生、カール・リンデ教授 の講義に傾倒しました。

リンデ教授は1834年に製氷機械(アンモニア冷凍機)を発明し、液体空気の製造法について9年間研究・開発を行い世間より大きな注目を集めました(この発明が契機となり、世界主流の下面発酵ビールが季節を問わず醸造できるようになったそうです。リンデ教授のおかげでうまいビールが真夏でも飲めるわけです)。

下の写真はリンデ教授です。


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ディーゼルは1878年にリンデ教授より蒸気機関の作動の講義を受けました。

その講義の中で、大型で良好な蒸気機関でさえも燃料の10%以下を有効仕事に変えているに過ぎなく小型機関ではさらに効率は悪くなると講義しました。


特にディーゼルはリンデ教授が解説したサディ・カルノー (1796-1831)の法則に興味を持ちました。

なぜならディーゼルは幼少時代にパリ工芸博物館でサディ・カルノーの名前にめぐりあい、すでに知っていたからです。

下の写真はカルノーです。理想熱機関「カルノーサイクル」の研究により熱力学第二法則の原型を導いたことで知られます。

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カルノーは1824年に「動力についての考察」について論文を発表し、熱機関からいかにして最大効率を得ることができるかを理論的に解析しました。

カルノーの法則に従えば、


熱平衡の状態を破り熱が高温度から低温度の方へ流れる際に初めて仕事を行い、その仕事量は導入される熱量と作動過程における上下限の温度のみに関係し熱を運ぶ媒質の性質には関係しない。

熱機関より理論的に最大の熱量を取り出すための条件はカルノーサイクルに示される。


リンデ教授はカルノーの理論より「等温変化」のもとで、燃焼で発生した熱をいかにして有効仕事に変換するかが問題であると講義しました。

当時、ルドルフ・ディーゼルは20歳でしたが、カルノーサイクルにおける等温変化を実現する研究を行う決心をしました。

そして蒸気機関における無駄な燃料の消費に終止符を打とうと思いました。


余談ですが私自身が大学の熱力学の講義で「カルノーサイクル」について学習したのも20歳。

100年以上たってもディーゼルが学んだ時代の学生と同じ扱いを受けるとは残念です。

中学か高校でカルノーサイクルを教えてほしいですね。

少し寂しいです。


内燃機関の発明においてオットー、ダイムラー、ベンツらに理論的な側面がないとは申しませんが、ディーゼルは熱機関の理想サイクル「カルノーサイクル」を強く意識し、その実現を目指しました。

そこが、ディーゼルがオットー、ダイムラー、ベンツらと大きく異なるところです。

当時の熱機関すなわち蒸気機関の熱効率はせいぜい10%程度ですが、最新の大型舶用ディーゼルエンジンでは熱効率が55%を超えるものも出現しています(ただし自動車用の小型ディーゼル機関では30数%程度の熱効率です)。



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