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(その6) エンジンから車へ  ルドルフ・ディーゼルの幼少時代

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ルドルフ・ディーゼルの幼少時代


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ルドルフ・ディーゼル は1858年3月1日にパリで生まれました。

ご両親はドイツ人ですが手工業の世界の狭量と意地悪さにあいそをつかし、故郷のアウグスブルグを離れてパリで生活するようになりました。

裕福な家庭ではなかったようです。

しかし、当時のパリは技術的に最高の都会であり、いたるところで巨大な工学上ならびに物理学上の装置が作られ始めていました。


しかもルドルフ・ディーゼルはフランスにおける工学と化学の殿堂であるパリ工芸博物館 (世界でもっとも古い科学博物館)のすぐ隣の家で生まれました。

当時のパリ工芸博物館には船の模型、蒸気機関、クレーン、時計、顕微鏡、さまざまな実験装置、キュノーの蒸気自動車(1770年製)、初期のルノアールガスエンジンなどが展示されていました。

幼いディーゼルは大好きな機械や器具に囲まれそれらに感動し、スケッチしながら幸福に浸っていました。


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パリ工芸博物館について調べました。

サンマルタンデシャン教会(l'abbaye St-Martin-des-Champs)の修道院の建物を使い博物館としたものです。

最初の飛行機、顕微鏡なども展示されています。

公式サイトはhttp://www.arts-et-metiers.net/home.php?lang=ang&flash=f です。


1867年(ルドルフは9歳)にはパリで大世界博覧会(日本(幕府、薩摩藩、佐賀藩)がはじめて出展した万博でした)が開催され、ルドルフも両親といっしょに見物に出かけました。

パリ万博は盛況でした。人々は電気、ガスエンジン(オットーも大気圧エンジンを出品)、新型印刷機、蒸気乗合バスなどについて話し合いました。

これらはすべて幼いディーゼルの心に光のように輝いたに違いありません。

幼いディーゼルの機械に対する愛着振りを示すエピソードがあります。

ディーゼルがかなり幼いときご両親がディーゼルを一日中家に一人ぼっちにしておきました。

するとディーゼルはカッコウ時計などの時計を分解してしまいました。

分解することはできても組み立てることはできません。

ディーゼルは罰として家具にしばられました。

また日曜にご両親がハイキングに出かけるときは鎖でつながれたまま居間に残されたそうです。


普仏戦争のセダン(スダン)の戦い 以降、パリに住むすべてのドイツ人は(当然、ディーゼル一家も)パリを去らないといけませんでした。

東は戦場のため閉ざされていたので一家はイギリスに亡命しました。

このときルドルフ・ディーゼルは生まれてはじめて鉄道と大きな汽船により長旅をすることになります。

ルドルフはイギリスでは8週間ロンドンに残り英語学校に通いましたが、それよりも有名なロンドン科学博物館 に通うことに、より大きく深い喜びを感じました。


特にサーベリー、ニューコメン、トレビシックの蒸気機関の実物・模型など熱機関に飛びつきました。

このように


ルドルフ・ディーゼルは幼い頃、パリ、ロンドンにて蒸気機関とそれを作り出した人々に深い感銘をいだきました。


またパリからロンドンまでの鉄道と汽船による旅も熱機関の力をディーゼルに確信させる上で少なからず影響を与えました。生活は裕福ではありませんでしたがエンジニアとしては幸せであったと思われます。


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